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2017年度最高傑作「月曜日の友達」の魅力を大解析した

2月23日発売の「月曜日の友達」第二巻(完)について、たくさん漫画を読んでいる自分の中でも最高の作品だと感じたので、感想の備忘録も含め文字に起こします。もしここにたどり着いて読んでくれた方、いらっしゃったら拡散とかしてね。 

月曜日の友達 2 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 2 (ビッグコミックス)

 
月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

 

 

テーマは「この作品の最後の圧倒的なカタルシスです。それを頑張って手短に解釈してみます。

 

この作品の目立った魅力を総括

  • 小説のような中学生の言葉回し
  • 他作品にも共通する、情景・背景・演出のキレイさ
  • 「思春期」という、どの読者にも突き刺さるテーマ設定

の3つでしょうかね。ここで結論というか、私の一番言いたい事を先に述べます。

それは、上の3つの歪な相関関係が、最終話の巨大なカタルシスとして機能しているということ。それがこの作品を傑作と言わしめる最大の要素だと思っています。ではそこを着地点としましょう。

中学生たちの言葉

登場人物はすべて中学一年生。物語は入学から始まりますが、読み始めてすぐに覚えた違和感が一つ。どの人物も、やたらめったら言葉使いが大人じみている。そんな文学的な話し方する中坊なんていないだろう、と誰もが思ったはず。

しかしこの人物と発言のチグハグさ、超重要。

第一巻、つまり前半部分では水谷と月野の交友が具に描かれています。それは単純に中学生の友情形成そのもの(夜の学校で合う、という特徴はあれど)。そういった日常パート、いわば第二巻への導入部分を、文語的な表現によって緊張感を保たせているのだ。ここで世俗に寄り添い変なリアリティを持たせてしまうと、後の二人の溝・超常現象・夢の語り合いなどまでもが軽々しいものに感じられてしまうんです。

特に超常現象に関しては、一歩間違えると「神秘的な演出」から「完全に物語から逸れた蛇足」になってしまいます。超常現象をストーリーの重要な演出として紐付けておくために、この堅苦しい言葉の使い方によってややリアリティから遠ざけ、ラストの爽快感へ導くべく一役買っているのだと思います。

無論、この文章的堅苦しさは作品の最後まで続いているわけですが、カタルシスの重要なトリガーの一つとして頭の片隅に入れておいてください。中学生らしからぬ言葉遣いによって読者に時間をかけて心情をたっぷり読み込ませ、そして揺さぶり、「思春期」というシンプルなテーマに向けて大きく反動をつけるわけです。

美術的表現の秀逸さ

これに関しては明らかで、モノクロのキラキラ表現というのは他の阿部先生作品でも目立ちますね。

前述した 言葉遣いがすごい、という点だけならばこの話は小説でもいいわけで。文字による情報が直線的かつ論理的に頭に入ってくる傍ら、本作の漫画的表現はユニークかつシャープで、陰影がはっきりしていて非常にわかりやすいものです。ぱっと見の印象で「キレイだな」と感覚的に訴えかけてくる。

そのような強い陰影の表現やシャープな光の表現は、いわば堅苦しい文字群の中で読者を導くような灯台の役割を果たしています。このストレートな表現方法により、読者はストレスなく重い言葉たちを受け止め、解釈することができるのです。

そして最終話の超常現象。あれを陳腐な絵面にさせないためにも、作者の秀逸で斬新な表現というのは重要なトリガーになっている。

前述した大きな反動、これによって物語はラストシーン(作品のテーマそのもの)へと飛び上がるわけですが、その飛行を支えているのがこの背景表現です。まず視覚から美しいと思わせることで脳みそをこじ開けられ、堅苦しい文学的台詞もスムーズに読めます。言葉の効力を100%発揮させるために、「お膳立て」としての超常現象。ページをめくった瞬間 視覚的に読者を惹きつけ、滑らかに水谷と月野の言葉へと意識を釘付けさせるのです。

あそこで水谷と月野が地上で語り合うだけだったら、魅力は半減。「千と千尋の神隠し」でハクと千が落下しながら語り合うシーンがありますよね。あのような背景のバックアップが素晴らしいシーンにおいてこそ、言葉によるカタルシスというのは最大になるんです。それと同じことがこの作品でも起きている。

 

さあ、ページいっぱいに広がる美しいモノクロの光が月野と水谷を上空のステージへと導いた。読者全員を釘付けにしたステージの上、その会話をたっぷりと読み込んで明らかになるテーマとは。

 

テーマについて

簡単に言うと「思春期の中学生が大人になっていく」でしょう。第二巻の冒頭、自分の軽はずみな行動で月野を傷つけてしまった水谷。作者の今までの作風を知っていると、物語には一気に不穏な空気が流れ始めます。

結果として二人は和解し、火木ちゃんとも仲良くなるんですよね。そのラストに至るまでの紆余曲折、思春期特有の悩みや傷というのは、堅苦しいセリフ回しに隠れていましたがかなり共感できるものなんです。

すごく難しそうに進んでいた物語が、最終話になると「思春期を乗り越えて大人になる」という簡単で普遍的なテーマへ帰結すると読者が気づいたとき、今までの絡まった読解が巨大な浄化に変化します。その助走としての難しい言葉遣いと、テーマを読み解いた爽快感を視覚から支える漫画的表現。この2つが作品のテーマの下でうまく作用します。

・・・

これは余談ですが、

「簡単なテーマを美しい言葉で装飾する」というのはよくあることで、コアのテーマを発見したとき、感動を見出せるようになっています。それはこの音楽でも同じことが言えて、

  • しゃがれたボーカルの乾いたロックな曲調=難しい言葉遣い
  • 遅めのBPMでゆったり聞ける=美しい漫画の描写

といったように、この二つを掻き分けて進んだ先に判明するテーマ(ここでは月曜日の友達もこの曲もかなりのシナジーがある)というのものが、読者/リスナーには響く。

そして最後のカタルシス

最後は爆発的な感動を与えてくれます。

ウンウン唸りながら、不穏な結末を予想しながら、一歩一歩暗闇を掻き分けて辿り着いたテーマ。それはどんな読者にも突き刺さる、「青春」だと判明しました。人物・言葉・背景の全てが輝くあの数ページ、あそこに到達すると「ああ水谷と月野の関係が本当に美しいものになったなあ・・・」とか「火木ちゃん、愛を知れてよかったなあ・・・」とか「大人になるって意味、わかりみが深い・・・」など、シンプルで誰にでも共感できる感情がブワーっと一気にこみ上げてくるんです。それまで話がネガティブの方向に滑落するんじゃないか、という期待をいい意味で裏切ってくれたのも大きな要因でしょうね。

 

これをたった2巻で纏めあげる阿部共実先生の手腕を本当に尊敬しますし、セリフ・絵・テーマという漫画に欠かせない3要素の歯車をキッチリと合わせたこの作品はまさに傑作と呼ぶのにふさわしいでしょうなあ。これが個人的ではありますが僕の考える「月曜日の友達」の評価です。

 

本当に好きな作品になりました。「月曜日の友達」で感じたことは定期的に読み返して色褪せないようにしたいし、年を重ねて感性が変化するごとに読み、そのたびに自分がどう思うか確かめたいなと思います。

 

いないとは思いますがこの作品を知らない状態で最後まで読んでいただき興味を持った方、試し読みあります。

 

以上です。ありがとうございました!