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『アングスト/不安』が他の映画と一線を画す理由

『アンスグト/不安』

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http://angst2020.com/ 

残酷な猟奇事件は、その物的証拠をまじまじと見なければいけなかったり、被告の証言を具に聞かなければいけなかったりで、たまたま選ばれてしまった裁判員の精神的苦痛が凄まじいという。

・・・

『アングスト/不安』という映画を観ました。

タイトル通りエンタメとは一線を画すような、生々しい恐怖と不快感に襲われた。

 

海外で上映中止になったのも強ち理解できなくもない。この映画にはネタバレもくそも無いが、できるだけ話の流れを伏せつつ解剖してみたい。

 

あと、最後にこの映画の本編とはまったく関係ないけど少しほっこりする小ネタも解説しますので、ぜひお読みになって。

エンタメ、ではない

暗い映画好きなんですよ。

日常との乖離性という点で、暗い映画は他のジャンルよりも深度が優れている。

ことホラー映画においては大半がフィクションで、半ば様式美を楽しんでいる。サスペンスものでは実話ベースも多いけれど、あくまでも脚本と演技に裏打ちされたフィクションだということを前提にしているから、エンタメ(=娯楽)として楽しめる。

 

では『アングスト/不安』はどうか。

 

この映画は、そういったネガティブな映画群の中でも一線を画すというか、明らかにエンターテイメントの一歩先のジャンルに存在している。

ドキュメンタリーとも呼べるだろうけど、そう易々と認めたくない理由もある。

 

この映画を見ている間、拳を無意識のうちに固めていた。

両手の指が強張るくらい魅入ってしまったのだけど、ひとつひとつ解いていこう。

セリフが無い

この映画、ほとんどセリフが無かった。

ノローグが大半だった。

 

冒頭、それこそ裁判で語られるように淡々とヴェルナー・クニーセクの生い立ち・その異常さの説明・仮釈放に至るまでの犯罪歴が誰かもわからない第三者によって語られる。

 

主人公のヤバさがいきなり語られてしまい、「え、これ普通ラストに語られるものじゃないの?」と思ったが、それは前菜に過ぎなかった。

何故ならそれ以降の本編は、最後の最後まで「クニーセクの語り」で進行していたからだ。

 

劇中のセリフがなく、語られる言葉はほとんど凶悪犯のモノローグのみ。これがどのように恐怖を掻き立てられるか、想像してみてほしい。

 

彼が何を語っていたかというと、彼のサディズムの自分なりの解釈や、幼少期に感じていたこと、そして動機と興奮の内訳。つまり、スクリーンに映る暴虐のすべてが、その当事者の自分語りによって理由付けされているのだ。

 

どんなに残酷な事実も第三者によって語られる場合、それはドキュメンタリーとして消費されるし、「へえ、こういう事件があったんだ、ひどいな〜」とあくまでも我々も第三者として消費できる。

 

ただ、『アンスグト/不安』は、「実際に起きた残虐行為」を「その犯人本人の実況解説のみ」によって描写している。セリフが無い=脚本が無いのと一緒で、セリフを話してしまうことで意識させる「フィクションというメタ」が存在しないのだ。

 

そしてセリフがない分、演技はすべて恐怖と暴力に本能を刺激された動物としての人間そのものだった。実際にあの場に居合わせてしまったら言葉なんか一切出ないだろうし、叫び声もあげられないのだろう。

脚本によって話される言葉は無く、聞こえるのは犯人の心情の吐露と、環境音のみ。「これはフィクションだ」という逃げ道は、とても狭く暗く分かりにくく、観ている者を不安にさせるのには十分だった。

 

映画をエンタメたらしめるメタ要素が欠落しているからこそ、本作が持つ圧倒的なリアリティに結びついているのだと思う。

目を逸らせない

映像としても彼の暴虐の一部始終を映しているだけで、映画ならではの風景のカットや、引きのカメラワークもない。ただひたすらにクニーセクの凶行が彼の焦燥・快楽の滲む表情のドアップと交互に映されていて、一方では苦痛に悶える被害者のドアップ。そして次なる計画遂行のためにひた走るその一部始終。あと犬。

要するに最初から最後まで痛ましいこの映画を、犬を除いて直視せざるを得なかった。

 

この映画の視覚的に怖かったところは、まるで監視カメラさながらの淡々としたリアリティと、GoProで撮ったかのような臨場感。眼に映るものすべてが、クニーセクの犯行すべてに直接結びついている。

常にクニーセクの語りと共に映し出される映像が、例えば風景だったりシンボルの小物だったりを引きに・・・とかだったらよかった。

実際は常に耳からクニーセクの実況解説が襲いかかり、さらに目を外らせるシーンもない。これがいかに窮屈で、蛮行に釘付けにされる状況へ追い込んでいくか、想像に容易いだろう。

 

冒頭で書いたように、この作品は裁判で証拠として流されるような資料映像みたいな印象を持った。眼に映るのはただ事実のみで、クニーセク目線の背景が語られている。

要は供述と再現VTRが組み合わさったような映画で、さらに語り手が犯人自身だから不快にさせるのだ。性悪やで。

たまったもんじゃないけど、

犬についての小ネタです。

エンドロールに、"Hund"=ドイツ語で「犬」の単語があった。

忘れちゃったけど、ちゃんと名前も載ってた。

公式でも犬は無事だと事前に明かされていたけど、それを知りながら観れば幾分かリラックスできるかもしれない。知らなかったら知らなかったで、犬が最後まで生きていることが分かった途端安堵できるとおもう。

たった一つの良心が犬だったのだろうか、、。

・・・

『アンスグト/不安』、実際に起きた凶悪犯罪を映画化した作品の中でも極めて趣味が悪い。

怖いし不安だしで最低最悪な気分になったけれど、それがまさにこの映画の魅力なのだ。そう思えばなんて最高な映画なのでしょう。

 

ただクニーセクの凶行と語りによってこの映画が構成されていたことが、心に黒ずみとして静かに沈んでいる。つまりこの映画が魅力的なのは、クニーセクという凶悪犯の生き様と犯行の一部始終を見せられてしまったからか・・・?と、愉快犯に陥れられた気分になったのも否めない。

 

クニーセクが強烈なサディズムを覚えたのは、幼少期にマゾヒストの叔母から彼女を痛みつけるよう強制されたからだという。この超サディズム映画を"見せつけられた"こととリンクさせたくないが、自分の知らない自分が目覚めないか、絶対に大丈夫だと分かっていても不安になってしまう。

 

嫌な映画だった。