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映画「MEN 同じ顔の男たち」ステゴロの感想 「男」ってなんだよ

「MEN 同じ顔の男たち」みてきました。

よかったけど多分好きじゃない作品です。

半分感想、半分憂さ晴らし。

ロリー・キニアっていい役者ですよね

まずはガワについて

テーマやメタファーへの言及はひとまず置いておいて、単純にホラー作品としてよかったし、キャストも自分好みだった。

まずキャストについて、あまり語れることはないのだけど、「同じ顔の男」役のロリー・キニア良いですよね。「ブラックミラー」の豚FUCK大統領とか、「Years&Years」の長男坊とか、どこか情けなくて欲にまみれたおじさんが等身大ママすぎてぴったりだ。日本の俳優だったら誰を充てたいかなあ。個性を消せる個性派俳優枠。音尾琢真とか?

あとジェシーバックリーも好き。「チェルノブイリ」で消防士の妻役だったのを思い出した。あの重苦しいドラマの中でも一際悲哀に満ちたポジションで、流産の挙句病院のベッドで呆然と座っていたシーンが忘れられない。あの役はまさに日常の愛を原発事故で汚損された多数の女性のシンボルとして、視聴者の心を見事に曇らせた。今回はむしろ真逆で、彼女の強かな姿勢とラストの晴れやかな笑顔は、本作の爽快感へとつながる重要なカタルシスとして一役買っていたと思う。洗練されたルックスと不釣り合いなアイルランド訛りが素敵。もっと色々な作品で見たいなあ。

地味にソノヤ・ミズノも出演していたらしい。「エクス・マキナ」ファンとしては少し嬉しい。気づかなかったけど。

 

そしてホラー作品としては十分すぎるくらいの描写が満載でしたね。個人的には、血しぶきに満ちる盛り上がりシーンよりも、ホラー要素が日常にどう這い寄ってくるか、その導入部分にいつもドキドキする。本作においては、まずトンネルのこだまでぞっとし、その後全裸の男がハーパーの遠い背後に立ち尽くしている、という追い討ちが最高に不気味だった。不快な羽音を耳元で払って、ふとその正体を視認してみれば思いの外気持ちの悪い虫だった、みたいな感じ。

ラストスパートの無限出産シーンとかについては特別な感想とかないかな・・シンプルに「オゲゲ〜〜」だった。総じてホラー作品としての出来は高かったと思います。今年は「呪詛」が群を抜いて良かったけど、久しぶりにスプラッタ系のホラーを見た気がする。

ただ本作をしっかり語るとなると、やっぱりテーマの部分に触れておかないといけないし、自分が好きじゃないなと感じる理由もそこにある。

テーマは愛なんでしょうけど

メタファーが多くて、ホラーシーンを掻い潜ってそれらもちゃんと考えなくちゃいけなかったから忙しかったですね。それらの考察については、下記の記事が大変参考になったのでぜひご一読くださいませ。

movie-architecture.com

でも個人的に気になるのは、この物語って男性嫌悪も女性嫌悪もクソデカ主語としての男女の話もなくって、もっとミクロな愛のあり方を描いた愛憎劇なんじゃないかなあと思うことです。そしてメッセージを受け取れないのはわたくし個人の感性と合わないから。ここからはちょっとした恨み節かもしれない。

 

そもそも、男性が持つ支配欲と自己破滅願望って、そんなに普通なんですか?ジェフリーの自己弁護にもジェームズの性の哲学にも、一切共感できなかったんですけど。男性のみなさんって、女性から拒否されたら、それを相手のせいにしようって思うんですか?女性が処女かどうか、子を産めるかどうかってそんなに重要か?なあ。なあて。

ともかく、そういう男性像がまず普遍的に共通している、という前提がない限り今作のカタルシスは成り立たないと思うんですけど、その前提条件を持ち合わせていなかった時点で自分は躓いていたんだな。後から「想像して理解」はできたけど、もっと自分と重ねられる部分があれば、心臓を突き刺すような嫌悪感と羞恥心に襲われていたのかとも思う。それこそ男性がこの作品を見た時の感想としてある種の正解なんじゃないかな、という気持ち。味わってみたかった。

 

なんですけど、自分の実体験と照合してみれば、半ば反証するかのようにとある事柄に気づかされてまじで最悪な気持ちになった。

それは、結局「岩雲(=わたしのことです)もこの作品が描くような陳腐な男性像の一端に含まれている」と、世の女性から思われているんだろうなということ。いやあ、これに気付いちゃって本当に落ち込んだし最悪でしたね。僕は世間一般の「男らしさ」を持ち合わせておらず、さらに意識的にそういった男性性を気持ち悪く感じています。単純に、自分には合わないから。だからといって恋愛がうまくいくような人生は歩めていないし、基本的に女性には拒否されてばかり。今年もそんなことがあった。

この気持ちはなんでしょう。ストレートにジェフリーのワガママを自分の振る舞いにも見出すことができれば痛恨なんだろうけれど、そうじゃないんですよ。僕には自覚がないんです。なのになぜか、自分が愛したいと思った女性はみな離れていくんです。めちゃくちゃ最悪ですよ、鏡に何も映らないから確認することができない、自分の顔ももしかしたらジェームズなのか?というこの気持ち。

まあ、この気持ちの正体としては、ジェフリー/ジェームズや世間一般の「有害な男らしさ」に対する嫌悪感が人一倍強いからこそ、もし自分がそういう人間だと思われていたらどうしよう、という恐怖に苛まれているだけでしょうけど。客観的に見て、到底男性らしさがあるような人間ではない。他人よりも優位に立つということに何も興味がないので。うん。こわいな〜

 

この章のはじめに、この物語はミクロな愛憎劇だと言ったのはそういう理由です。そもそも私自身が劇中の男性像に 共感どころか同性として嫌悪感を抱いていて、普遍化できなかったから。個人的なまとめとしては「とある男女の愛憎劇ホラー」だけど、もっと一般化して広い視野でこの作品を見られる方が普通でしょう。

め〜ん😄

それにしても強烈なミサンドリー/ミソジニーのどちらも感じられなかったのがよかったな。上記のメッセージを汲み取ろうとして色々思い返してみても、どこか爽やかでスッキリとした作品だったと思う。ジェンダー系のメッセージが強い作品、個人的には苦手なんだ。「プロミシング・ヤング・ウーマン」とかね。「MEN 同じ顔の男たち」は、同じようなメッセージがあるのかもしれないけれど、ガワじゃなくて真底にある。普通に見たい人は気づかなくてもいい、くらいに作られているのかも。

 

僕は、心も身体もオスであることは認めるし全く構わないが、男性であることをやめたい。そう再確認した。