ジモティーで冷蔵庫を譲った人がやってきた。優しい人で安心した。見知らぬ男の人を自宅に招き入れるなんて、自分が女性だったらたまったもんじゃないし、相手の心中を察すると招き入れたくもない。冷蔵庫の搬出まで手伝ってもらって、キッチン周りがすっきりした。跡地に置くラックなり棚なりを探さなければ!
外出の予定もなく、自宅で濱口竜介『親密さ』をだらだら観た。WOWOWやザ・シネマといったCS放送の録画という手段は軽んじられている。これからどんどんパッケージの生産が衰えていき、配信というプラットフォームもU-NEXT一強の時代に10年単位で存続するとは思えない。ユーザーの環境次第で物理的に保存することが可能なテレビ放送というのは、見落としがちながらもしっかりと役割がある。まあ、テレビで映画を観る体験自体、配信よりも先に盛衰を迎え、向こう数年で追いやられるのだろう。そうなったら録画したいような番組自体が放送されなくなるのだ。
それはそうと『親密さ』を観て、『王国 あるいはその家について』で濱口が「やりたいことを先にやられた」とコメントを寄稿したその意図の端緒をつかめた気がした。たしかにドキュメンタリー(『親密さ』においては舞台上の本番)とフィクションの往来によって浮き上がる言語と身体というテーマは、2作品ともそっくりだ。映画評論における身体性という言葉、分かるようで分からない。いつも確信が持てないまま使用しています。
この日は夜から杉並区民の決起集会が開かれた。『映画 ◯月◯日、区長になる女。』を観てから岸本さんはわたしが住む自治体の長にふさわしい政治家だと認識している。わたしは自宅で集会の様子を追っていたが、思いのほか年配の方が多く参加されていたようで、なんだか安心した。どうしても自民の支持層は高齢者だという先入観があった。最近の自民党の体たらくがどう市井に映っているのかが明らかになる、日本の民主主義の試金石となる区長選になるだろう。
スコップコロッケを発明した人はすごい。油を使わずしてコロッケが作れてしまう。日曜から水曜まで毎日夕食をこれで済ませた。
『かぐや姫の物語』を観た。公開当初は、妙に顎のとんがった帝がインターネットのおもちゃとしていじくりまわされていたことくらいしか記憶がない。ただ、昨年か2年ほど前か忘れてしまったが、自死によって今は亡くなった(違っていたら申し訳ない)かたが寄せた映画評を読んだときの昂ぶりは覚えている。そう、これは現代女性の物語でもあるのだ。そして、今を生きる男性の物語でもある。帝の言動を自分に重ねられるのかどうか。女性を所有物として扱いながらも、「気を悪くしたのなら悪かった(うろ覚え)」という、いかにも男性的なセリフには鳥肌がたった。「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」は突き抜けすぎていてもはやフィクションのセリフなんだが、加害的な行為をしておいて、「申し訳ないと思っている」で逃げられると思っているマインドがとても気色悪いのだ。帝の圧倒的な家父長制のすべてを内面化していないかどうか、それを検証して自省する責任を感じながら鑑賞した。