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netflix追加「夜明け告げるルーのうた」を100%幸せな気持ちで見終えられなかった

netflixに新たに追加された「夜明け告げるルーのうた

デビルマンcrybaby」でサイエンスSARU/湯浅政明のアニメーションの虜となって、実生活でもかなり密接なつながりがあるのでかねてより見たかった作品。

表題ではネガチブな印象のように聞こえるけれども、とっても満足した。しかしどうもハッピーハッピーな気持ちにはなりきれなかったので、そこを忘れないうちに書いておこうかな~。

サイエンスSARUと湯浅政明の猟奇

いかんせん始めて触れたのがデビルマンだったので、超個性的な色使いと彩度で目を引き、モノの造形なんか無視して絵を動かしていく…っていうのが頭に焼き付いていた。

そして先月見た「夜は短し歩けよ乙女」。やはりデビルマンで惹かれた手法がとても良くって、声を高らかに好きだと言っているわけであります。

もちろんルーのうたでも存分に楽しめたんだけど、一つ表現以外でも「デビルマンのサイエンスSARU」を思わせたシーンが2つ。

デビルマンは後発だけどね。

●地味に死人扱いされているおじいちゃん

そうなんですよ。ラストシーンで遺影に写るカイのおじいちゃん。浸水の混乱で母親と再会でき、そのまま海に飛び込んでしまったシーンは、タコ婆のそれと比べてとてもコメディカルではなかった。

その死に関して、カイや父親の言及はなし。そもそも「人魚=実在の人物」ということを全員が認知しているわけではなかったので、カイたちはおじいちゃんが海難事故に遭い行方不明になった、とでも思っているのか。それとも遺影があるということは人魚化していない遺体が見つかったのだろうか。

後者に関して言うとおじいちゃんが人魚化した描写がないということは本当に死んでしまった可能性もある。後追い入水のように。

今まで人魚への敵対心が一気に綻んでいった反動を表現しているのだろうけども、上記の不穏な妄想が頭をよぎって視聴後は少しネガティブな後味になった。

というかてっきり特産品の傘が日よけとなって人魚と共存するのかと思っていたけど、まさか忽然と消えるとは。最後にファンタジー的存在が姿を消し、主人公がそれを探しに夢を追う、ってジブリ的な終わり方だよね。

え、いろいろどうなったの?って思ったラスト。特にストーリーの粗さとかを指摘しているのではなく、5%くらいのバッドエンドを拭えないのが少し不安になった。

●憎しみで顔面が歪む人々

これは顕著だったなあ。ルーを捕獲し殺そうとした際のえびな水産社長の顔面はまさにデビルマンを追い詰めるあの人間の顔よ。顔に血が上って視線も定まらないあの表情の恐怖感はすさまじいと思う。そもそもの人間としてのデザインを感情が歪めてしまう、というのは好きだなあ。

 もちろん正統派とは言えないだろうけども、無難なアニメよりかは何倍も好み。ただ普通に動いているだけのアニメはつまらないからね。

●良い映画だった~

前半退屈だったから間に夕ご飯を挟んだんだけど、ラスト30分くらいは本当によかった。

あとはピンポンを見なければ。

個人的に実写作品に比べてアニメってどうしてもストーリーの退屈さが酷くて見ていられないだけど、トリガーとかサイエンスSARUはそれを「めっちゃ絵が動く」以外の視覚的効果で軽減させてくれるのですごく楽しめるんですよね。

あと音楽…いわずもがなだけど選曲もよくて最高だった。サントラ欲しいわ。ていうかアジカン電気グルーヴなど、湯浅政明作品の主題歌ってセンスあるのばかり。

アニメも音楽も、包み隠さずいうと「深夜アニメみ」が感じられないのがサイエンスSARU作品の好きなところだな。

 

夜明け告げるルーのうた アートブック

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