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『パラサイト 半地下の家族』の深み・暗み と『怒り』

パラサイト 半地下の家族

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爆速で初日に見てきました。

本記事には致命的なネタバレがあるよ。

 

まだ見てない人は、まずこのページをブックマークして、上映スケジュールチェックして、見て、自分の感想ちゃんとまとめて、そしてこれを読んでください。

 

まずは雑感から。

僕の感想を一言で表すと「完璧だった」です。

 

ここでの 完璧 というのは、原義通り「キズ一つない珠玉の作品だった」という意味。

個人的な好みはさて置いて、映画ひいてはフィクションという大枠においても模範たりうる作品だった。苦虫を噛み潰したような後味の暗ーい作品が好きな僕にとっては、小説 漫画 映画 ドラマ 今まで触れた全てのフィクションの中でもパラサイトは完璧だった。

 

もちろん好き嫌いに関して言えば、この作品大好きである。まじで好き。ぶっちぎりの好き。他のジャンルまで視野を広げても、僕の中では史上最高。単純にめちゃくちゃ好き。

 

というわけで 記憶がフレッシュなうちに色々書き留めておくぞ。客観的に何が面白かったか、そして個人的に何がそんなに好きか。

 

  1. 伏線
  2. 水難
  3. 怒り

の3本立てです。

 

傑作たらしめるのは伏線

もううっとりした。

伏線っていうのは、物語の中で「語られる事実」が後々の大きな事象のトリガー・または説得力になる という役割なのだが。

この作品、伏線がちゃんと伏線してて本当に緻密で丁寧な出来だった。「伏線」と聞くとミステリーを解く鍵としての意味合いが強いが、どちらかというと最後の最後に爆発する「マクガフィン」の細かなピースが散りばめられていた、という方が正しいのかもしれない。

・・・

設定から話そう。

呑気なブルジョワ一家に集る狡猾なプロレタリア一家。その生活の様子は比較的コメディカルだったが、もう一派「生死がかかっているアウトカースト夫妻」が寄生先の地下に潜んでいたことが後半明らかになる。

それが明らかになったときの衝撃は凄まじかった。しかし以前著名な建築家がその家に住んでいて、家政婦は家主が代わっても引き継いで勤めている、というエピソードが事前に語られており、すんなり「転」へ導入できた。

 

他にも、クライマックスの庭のシーン。それまで「地下の匂い」というキーワードを聞くたびに眉を潜めていた運転手パパ。地下から這い上がった男の凶行の直後、キム社長が犯人の屍臭に鼻をつまんだ瞬間、それまで張り詰めていた糸が切れた。この匂いに関する伏線も劇中で何度も語られた、後半になるにつれて緊張感を伴って加速度的に。ラストに父親の険しい表情がアップに映る傍ら、鼻をつまむキム社長。これまでの伏線が全て回収されたあの数秒間、この物語最大の盛り上がりだ。パパ運転手にとっては復讐を果たしてしまったという点でカタルシスとなる。

 

といった具合に、会話のひとつひとつが伏線となり、この激動の物語の展開に説得力を与えている。

 

物語の起承転結を支える伏線という要素が本当にしっかりしていた。誰も分からないような難解な伏線の散りばめ方ではなかったし、誰が見ても面白いと思える構成だった。それを支える撮影技法や俳優の演技力など制作手法にも繋がってくるのでそれらは省きますが、とにかく丁寧で分かりやすい作りだった。

 

もうすこし伏線の話を深掘りする。

 

水難と家族のゆくえ

これは伏線の話から発展したただの余談だが、「水難」について語りたい。この物語では半地下家族のポジショニングが水難に現れている。

 

まず "起" 物語の冒頭。酔っ払いが立ちションするシーンがある。家族一行は半地下の窓からその様子を見つつも、注意しあぐねていた。そこでやってきた大学生の彼(名前なんだっけ…)。彼はその酔っ払いを注意し、半地下の家族はさすがだと褒める。まだ寄生を開始する前なので、家族はまだ立ちション酔っ払いと同等の存在なのだ。それを上級国民が咎めた、というシーンだ。すべての始まり。

 

少し話は進展し、家庭教師を始めた頃。

また立ちションが現れたのだが、息子がバケツを持って飛び込んで行くのだ。この時点で既に高額な報酬を受け取っていた家族は、行き倒れの酔っ払いのことは既に見下していたのだと思う。息子が水をぶっかける光景を妹は「洪水」と表現し、家族にはそれが楽しげなスローモーションに映っていた。後の惨劇を強烈に皮肉ってる。

 

そして"転"のシーン。

土砂降りの雨 寄生先から辛辛に撤退する。このシーンはもはや言うまでもないが、スラムへ帰宅するとそれまでの住処が水没していた。寄生先の地下室にも干渉してしまい、物理的にも状況的にも家族にはもう逃げ場がなくなってしまった。そして完全に浸水した自宅から息子が拾い上げたのは、冒頭で大学生の友人が託した石だ。「経済的繁栄」の願いが込められた石を拾い、それを抱えながら決意を固めた。結果その決意が全てをひっくり返すキーストーンとなったのだが。

虚栄をすべて流し去った汚水に沈んでいた発展の証たる石を拾い上げたのはこの物語の顛末すべてを表していたと言えるし、その流れを作り出したあの洪水の役割はとても大きい。

他にも、水難という観点から考察できることはたくさんあると思う。登場人物それぞれの視点から見てみたら面白いかもしれない。

 

本編に関することはこの辺にして、最後に僕がこの作品に見惚れた理由をすこし。

 

『怒り』について

ラストシーンは「怒り」という感情に登場人物みなが支配される。それについての言及と、他の作品との比較をしてみる。

この作品では、階級ごとの差というのをこれでもかと可視化させ、さらにはキャラクターに不快感を浮かべるような演出がたくさんあった。

まず「半地下の匂い」がキム社長・地下の男・運転手パパの三つ巴を壊した絶対的なキーワードであることは間違いない。社長が貧乏の匂いに不快感を覚える傍ら、身分を隠してそのブルジョワに侍る貧乏者。そして同じ貧乏家族に無下に扱われる最下位の夫婦。それぞれがそれぞれに「階級の差」を通して対して怒りを募らせている。

もっとも、主人公の家族は自分たちが低層から這い上がったと思い込んでいる。家政婦ママが元家政婦に姉さん(韓国では親しみや尊敬の意味を込めて他人にもそういった呼び方をする)と呼ばれたことに憤りを感じていたり、さも自分たちが同じ地下に暮らしていることを忘れていたかのような暴虐ぶりだった。"半"地下ということもあり段差一つ分上にいるとでも思っていたのだろうか。

その他にも、広いリビングでの暴飲暴食や、付け焼き刃の運転技術。本物と偽物の差がわざわざ分かるように描かれている。その差をまじまじと突き付けたのが、豪雨の夜テーブルの下で盗み聞きした運転手パパについての「匂い」の会話だ。それだけではない。一夜明けたパーティの日、準備のために奥様の運転を務めるパパだが、彼女にもその「匂い」について言及されてしまうのだ。運転手パパに「素晴らしい奥様だ」といわしめた彼女に。

一夜にして住処を失くした家族は、下水の洪水によってそれまで隠してきた匂いを今まで以上に曝してしまうようになった。

偽りきれない生来の階級と、それを無意識に踏み躙った上流家庭夫婦。運転手パパがキム社長を刺殺したのは、その怒りが爆発したからだ。娘が瀕死の状態で苦しんでいるのに、死体となり横たわる地下室の男から、自分と同じ匂いをキム社長が感じている。助けを求めたくてもキム社長は最後まで「貧乏人の臭いが漂うただの運転手」としてしか見ていなかった。その事実に衝動的な殺意が芽生えたのだ。

・・・

『怒り』という李相日監督の邦画を見たことがありますか。僕はパラサイトのラストシーンに渦巻く感情には既視感があった。

『怒り』では、高級住宅街に迷い込んだ肉体労働者が、金持ちからの施しを曲解してしまい、その家の夫婦を殺害し逃亡するという事件から物語が始まる。犯人にとって他人からの慈悲は見下されていたのと同じであり、彼もまた自分より弱い者が苦しむ姿を愉しむような人間だった。

そして素性を隠した犯人と親交を深めるとある少年がいるのだが、『怒り』はその少年が怒りに任せ犯人を刺殺するところで終わる。そのきっかけというのは、少年が懇意にしてる友人がレイプされ、犯人が陰でその事件を嘲笑い愉しんでいたということが分かったからだ。

なにも信じられないという哀れな逃亡者と、信じた者に裏切られた少年少女。三者の怒りが渦巻き、最後は少女が砂浜で1人絶望に打ちひしがれて絶叫するシーンで終わる。

・・・

既視感の正体はこれだった。題名そのまま、怒りの波が全てを流し去る映画『怒り』では、その負の力強さに圧倒され、僕はどう落とし込んでいいのか分からず涙が止まらなかった。

 

僕が暗い映画が好きな理由の一つに、日常との乖離性がある。映画のテーマたりうる幸せとは何だろう…と考えても、幸せの上限なんか想定できてしまう。具体的なイベントで考えても大抵の人が経験するし、実経験が無くても想像には容易い。

一方ネガティブな感情には底がない。どこまでも沈んでいくし、最後に待ち受ける「死」も、そこに辿り着くまでどれほど闇の中を歩かなければいけないのかわからない。という理由で、暗い映画は作品としての深みが増すと思っている。

 

『怒り』は僕が1番好きな映画。それと同じ瘴気がウヨウヨしていた『パラサイト』も当然好きなのだ。怒りとはまた別の、「窮余しきった惨めな生活を送る人々」という観点では、『岬の兄妹』と比べてもいいと思う。

総括と視点の持ちよう

ややコメディ要素も強く、どんでん返しの落差によって作品の質が語られてしまうかも知れないけれど、本質的にはこの映画には圧倒的な負のエネルギーが取り巻いているというのは特筆されるべきだ。

運良く僕には韓国人との交流が過去にあり、生活様相やキャラクターの身振り手振りも違和感なく見られた。前述した相手の呼び方然り、韓国人はツバをよく吐き捨ててfuckの意を表すし、クリスチャンが多く英語も皆流暢に話すなど、細かい所作や台詞に韓国人のリアルが現れている。

それでも根本的な韓国の社会情勢や、北に対する意識、スラムの生活習慣など知らないことが多かった。それらを知ったら視野が広がり理解度も増すのだろう。より階級の差を肌で感じることができ、ラストシーンの怒りも更に純度が高いものとして我々の眼に映るはずだ。

 

話題作に付き物ではあるが、やはりサスペンスエンターテインメントととして打ち出されている。もっと重厚で濃密な作品のはずなので、表面上のドタバタ劇を楽しむついでに、ラストシーンの質量すべてを受け止められるよう、本編の隅々まで闇を探してみてほしい。それでは…。