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ポリコレやクィア以外の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を語ってみようよ

本国でのトレーラーが公開されてからず〜〜〜っと待ち望んでいた本作、本当に良かったです。意外と賛否両論あるんだな、というのを鑑賞後サーチしていて思い知ったのだが、わたくしには刺さりに刺さったので、自分の期待を裏切らなかった本作に感謝しています。

この一連のシーン、とても好き。© A24

アカデミー賞でも話題らしいんだが、それらが作品にどんな影響を与えていたとしても、マイノリティやポリコレを尊重するような風潮には個人的に興味がない。スクリーンの外で誰かが傷つこうが讃えられようが、作品がおもしろければ正味なんでもいいわ。

色々な文化人が本作をアジア系人種やクィアといったテーマと絡めて解説していますが、それとは別の切り口として、物語そのものを深く考えてみることでこの傑作の感想を備忘録として残したい。

 

2023/03/13追記

アカデミー賞総なめ、リアルタイムでその快進撃を観ました。賞にはあまり興味ないな、と思っていたけれど、好きな作品がこのように評価されてたいへん嬉しいです。

"Everytime"ではない、時間について

タイトルのEverythingとEverywhereが示すとおり、マルチバースを跳び回ることで自分を見つめ、ひいては超常的なパワーを習得していくという本作のプロット。感覚的にEverytimeではないのかな?という疑問については、All At Onceが示している。

改めて壮大なスケールで描かれるこの物語を思い返すと、すべては国税庁に赴いてから、その日の夜のパーティで終幕するまでの、たった半日程度の出来事なのだ。欲しいものをほしいままに、すべての平行世界をどこへでも、というとんでも理論でマルチバースを堪能したのは、たった数時間のできごと。SF的には、分岐する世界間を移動するついでに、結構時間についても過去と未来へ柔軟に行ったり来たりできる印象がある。

一方で今作は時間の流れが常に一方向というのが良かったな。過去は振り返るためだけにあるし、未来のことは全くわからない。だからこそリアルタイムの「今日」に焦点を当てたドタバタがとても濃密なものに感じられたんだと思う。ふつうに「これたった1日の出来事じゃん・・」と最後気づいたときはどっと疲れたし。タイトルのAll At Onceが示すのは、そういうことなんでしょうかね。

作中ではマルチバースが蜘蛛の巣のように図式化されていたけど、考え方としては横方向にのみ移動ができるというのがこの作品の設定というか、セオリーなのだろう。

なぜ未来や過去にも移動できるようにしてさらなるスケールアップをしなかったのか、ということについても考えてみた。

マクロとミクロ

この物語の主人公はエヴリンですが、大事なのは「ランドリーを経営していて、家族との折り合いもうまくつかず、何をやってもダメな世界線」のエヴリンが主人公ということ。あらゆる可能性が存在するマルチバースという世界観において、この認識はこの作品を理解するのにもっとも重要な前提だなあと思う。つまりこの物語は「主人公エヴリン」とその家族の軌跡がテーマであって、マルチバースをあれだけ行き来したのは結局大団円のカタルシスを引き起こした手段でしかないな、ということ。

前述した時間軸の往来がなされないのもここにつながると思ってて、時間軸の往来ができてしまうと、これまでに積み重なった諍いの結末が未来でどうなったのか、その可能性までもエヴリンは知ってしまうことになる。主人公エヴリンの世界のあの瞬間にすべてが帰結するような話になっているからこそ愛というカタルシスが成立するし、その結末を先んじて垣間見るような事態は許されないのだ。メタいけど。

要はこの物語におけるマルチバースという概念は、一種の舞台装置だと思っておきたい。あくまで世界の中心、物語の主人公は元々のエヴリン。彼女に他者を真に愛することを気付かせた舞台装置、それがマルチバースという設定。

一方で、ジョブ・トゥパキがベーグルに怨念をすべて乗せ世界を丸ごと吸収してしまおうとしたのも、元々の世界のジョイの悩みが増幅した結果だ。彼女の視点から物語を見てみても、結局あの駐車場のシーンにすべて(文字通り、本作のすべて。意味不明な世界観に対するロジカルな説明も、それを抱擁した結末も。)が詰まっていたのが良かったよね。。。

 

となると、語りたくはないのだが、ポリコレ要素って存在するのかしら?ということを考えざるを得ない。

普通でいいです、普通だからいいんです

はい。エヴリンはアジア人で、女性で、クィアの娘がいて、白人に舐められて・・。いいんですよそんなんは。

ミシェル・ヨーが語る映画『エブエブ』。主人公エヴリンは「チームワーク」と「アジア・フェミニズム」でできている。 | 【GINZA】東京発信の最新ファッション&カルチャー情報 | INTERVIEW

ginzamag.com

というかミシェル・ヨー本人がそういう切り口で語ってたわ・・。

いや、やっぱり要らないよそういうのは。

 

エヴリンは普通の中年女性です。たしかにアジア人だからうまくいかないこともあるかもしれないし、娘との軋轢もアイデンティティの相違だからかもしれない。

だけど、作中でそれらって全面的に主張されてましたっけ?たしかにキャラクターの性質としてはそう見えていたけど、そのものがテーマになるような作品だったかな。

個人的にはNOです。カラオケ機器のレシートを確定申告で提出しちゃったりすれば誰だって弾かれるでしょう。エヴリンがランドリー経営者として満たされない生活を送っているのは、ふつ〜〜〜〜に「何をやってもうまくいかないバース」のエヴリンだからです。娘との軋轢も、普通にただの反抗期。クィアだから、彼女だの彼氏だのわからないような恋人がいるから、じゃあないんですよ。子を持つ冴えない中年女性ならではの悩みという、至極一般的なキャラの性質まで敷衍して考察すべきだとおもいました、私は。

くだんのジョイについても。別にセクシャルアイデンティのみならず、若者の自己肯定感の低さや親と折り合いがつかないことなんていくらでもあるだろう。本作はたまたまジョイがクィアという性質を持った人間だったけど、親との衝突・和解というテーマに、そういった「マイノリティ性」が不可欠ではないことは明白。他のバースがベーグルに飲み込まれてしまったというのは、それほどジョイが内心で抱える問題が「セクシャルマイノリティ」という要素を超越した、もっと普遍的な(=全バースの人類に共通するような)ものだったから、でしょう。

みんな人種や性と絡めたがるなあ。どこにでもいる人たちの、愛についての話ですよ、この映画は。

といっても製作陣がそもそもそういうスタンスっぽい。なんでもいいけど。

それ以外のあれこれ

・字幕について

コメディ的観点からいうと、日本語字幕があまりにも「昭和のおっさん」なのが気になっちゃった。私は日本語字幕を補佐的に、できるだけ英語セリフのみで鑑賞したい派なんだけど、どうしても本作みたいな英語以外の言語が混じってると、字幕を読まざるを得ない。「何を言ってけつかる」という字幕の意味がわからなすぎてず〜〜っとモヤモヤしていた。関西弁なんですって。その表現を知っていたところで、おもしろいのか?

・いろんな作品を思い出す

まずは「マトリックス」。マトリックスもただ一つの現実世界と、いくつも派生する仮想世界の往来がなされる。しかも時間軸を超えた移動はされない。さらに主人公ネオと彼を迎えに来るトリニティが織りなすドラマは、まさにエヴリンとウェイモンドの関係だ。主人公ネオは仮想世界における自立型プログラムで、ソフトウェアをインストールすればカンフーの習得も可能。しかも大敵スミスと表裏一体という設定も、見事に共通している。

続いてウォン・カーウァイの作品。女優バースのメロドラマ感、特にエヴリンとウェイモンドの周りに映る人々が残像になってるのが面白かった。メロドラマとスローモーションになる背景、ついこないだ「花様年華」で見たぞ。

そして「ア・ゴースト・ストーリー」。悠久の時間を経て描かれる、1組の夫婦の話。岩バースで思い出された。あのバースでは時間という概念がないのだろう。眼前に広がる無限の無機物と、人間という存在についての哲学的議論。果てしなさすぎる時間の流れの中で言葉を持たない幽霊が探求する愛の物語、ふとちょっと似てるな、と思い出したりした。

・A24の話題作が続く

来月4月にはTHE WHALEが公開だ!やった〜〜!セイディ・シンクが登場するこの作品も超見たい。そして、そのうち公開されるであろうWhen You Finish Saving the World」にはフィン・ウルフハードが😭 まじでとうて〜〜〜(尊いストレンジャーシングス、もう最終シーズンだけA24で作れば?

超よかった、超好き

以上です。巷では賛否両論あるこの作品。そもそもカオスに圧倒されて話を理解できなかった、という感想については「そういう話、そういう世界だから・・」で済ませることしかできない、スイスアーミーマン見ただろ??理解できないとかそうじゃなくて、そういう世界なんだからしょうがないだろ。それと同じだよ。

それはさておき、アカデミー賞はどうなりますかね。人種やマイノリティの側面が評価の理由となるような作品って、鑑賞した時の個人的な満足度にそれらの要素が関係しなかったとき、なんかバツの悪い気持ちになるんだよな。賞レースのことを知らないしあまり興味がないからこその評価基準みたいなものが自分にはあると思うし、フィクションをフィクションとしてまずは楽しめる視座を養っておきたい。

「逆転のトライアングル」は色々逆手に取った作品で、それはそれでめっちゃ良かったけどね。

今年はたくさん映画を見られそうでうれしい。わーい