4thアルバム『女優姉妹』発売決定おめでとうございます。買って、聞いて、ツアー行って、生でその世界に溺れたい。
聞く頻度がジワジワと
1年ほど前はそこまで聞き込んでいませんでした。「地獄タクシー」いいな。という理由だけで『屋根裏獣』を購入しただけ。
しかしここのところ仕事でバタバタしたり色々疲弊しているのだけど、その回復薬として吉澤嘉代子を日々聞いている。気付けば彼女の音楽ばかりを流している。好き過ぎる。
この記事も実は何度も加筆しています。聞くたびに想いを文字に起こしたくなる。
山と谷と海とファンタジー
人生山あり谷あり、とはよく言ったもので、その通りですね。まだまだ若いけど、毎日の起伏が多くて疲れちったよ。
楽しい・楽しくないに関わらず、毎日バタバタしていると、現実世界そのものから逸脱したくなる。旅行行ったり、ぜいたくなお店で美味しいもの食べたり。
そのひとつとして、空想の世界に浸るというのが僕は好きでして。というか誰しもそれをするでしょう、小説や映画のフィクションを楽しむんだり。そうした現実からの逃避行において、僕は吉澤嘉代子の世界に一度入り込んでしまって以来、もう抜け出せなくなってしまった。
うん。
人生山あり谷あり、とはよく言ったものだが、人工物で溢れる山と谷から身を隠し、身体を休めるのが海。だれもたどり着けない深海こそ、せわしい現実から隔離された空想の世界である。
そして吉澤嘉代子を聞くと、その深い深い海の底へと重力に任せゆったりと沈んでいく安らぎに包まれる。。
何も見なくてよい安心感
深海に引きずり込まれてしまえば周りは真っ暗で何も見えない。現実世界の光など届かない場所で、吉澤嘉代子は呼吸できるように耳にポコポコ酸素を送ってくれる。目を閉じて、ひたすら彼女の世界に陶酔する。それだけでもう再び浮上できなくなる強い魔力のようなものを感じるのです。
何も見る必要がないというのはとても心が安らぐ。クソデジタル世界の中、目を開けて電子のパネルと接続しているだけで無駄な体力が漏電していく。
光をシャットアウトし、ただただ耳から流れ込む快音に身体を預け想像の世界での出来事に脳を委ねる。そんな安心感が吉澤嘉代子の音楽にはある。
吉澤嘉代子の魔法
聞くだけでやすやすと色・情景・人物など、つまり目に見えるものとはまた別の世界が頭の中に浮かぶ音楽はもはや魔法。吉澤嘉代子は言葉の魔女、魔女修行育ちだと自称しているけど、音楽の魔法とはいかに。
眼に浮かぶ映像がいかに鮮烈か。彼女の音楽はどんな世界もあざやかに想像させる。『言葉のリアリティ』というのは言葉を素材とする全てに必要だと思う。俳句の夏井先生も言ってたもん。17文字で情景・音・動きが読者の脳裏に浮かぶかどうか、って。
感動的だったり、格言のようだったり、そういう高尚な言葉である必要はなくて、ただ世界への引き込みの強さが大事なんだなあ、と僕は思う。そして吉澤嘉代子の言葉の引力を考えると、まさに宙に放たれた聞き手が、巨星に抗えず引き寄せられるかのよう。
ファンタジー 魔法というものは、頭の中の想像を実体化させるもの。吉澤嘉代子の頭の中で起こる全てが、彼女の言葉・メロディによってそのまま僕ら聞き手に伝わっているとなると、それはもう魔法でしょう。
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これで最後。人生山あり谷あり、とはよく言ったもので。
人生の山と谷、その行き来は大変だけど歩いた分だけ人として豊かになると思ってて、その反動で逃避先の深海の深さも増すんじゃないかなあ。優れた創作作品に心を寄せられるかどうかって、実生活の豊かさの裏返しだと思うんですよね。なぜならすべての空想は実体験から生まれるものですから。
自分が生活の起伏にヘトヘトするほど、吉澤嘉代子の魔法の効力は強くなっていく。彼女の世界に入りたいと欲する頻度も高くなる。そしてもっと強い味を占めようとし、現実世界でもしなやかにやっていける。
ただあまりにも彼女の魔力が強すぎて、たまに現実世界に戻れなくなりそうなときがある。心が擦り切れてぐちゃぐちゃになっている日々に吉澤嘉代子を聞いてしまうとダメです。優しくしないで、ときめきは毒。というか、段々心の治療法が彼女の音楽になっていく。
そんなこんなでえんちゃんてっど、
吉澤嘉代子の魔法にかかりました。
僕も言葉が好きで、こんな風に考えたことを文字に起こすのが楽しいんだけど、吉澤嘉代子という人から学ぶことが多いなあ。たとえ憧れの位置に置いても、感性の部分で擦り合わせる必要はないんだけど、言葉への姿勢はやっぱりプロだ。
巨大な才能を目の当たりにしたとき、自然と涙が出ることがある。吉澤嘉代子の音楽はそれで、別に感動的な曲ではないのに目頭が熱くなったりする。
ファンタジー・女性性など、いちファンの僕の人生では触れる事が出来ないことを吉澤嘉代子は音に乗せて教えてくれる。
彼女の持つ突出した才能は、僕の人生で欠落している感性の穴に見事に嵌る。言葉の感性、音楽の感性、物語の感性、僕にはいくつも穴が空いてるけど、吉澤嘉代子の音楽はどれも満たしてくれる。
自身の欠陥や欠落が認められたとき、人は自分の存在そのものまで許された気持ちになる。僕の場合、あまりにも荒廃した生活が潤っていると感じる理由のその大部分に、吉澤嘉代子の音楽がある。吉澤嘉代子の音楽が聴けることが、いまの自分の人生の証左となりつつある。
新たなアルバム『女優姉妹』
どんな世界が待っているのか、楽しみです。以上。
サムネのためにひとつ。この『箒星図鑑』が1番好きで、中でも「シーラカンス通り」という曲を愛しています。