ハイボール・ハイライツ

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サブカルチャーの衰退がこわい

今回は特定の作品や音楽についてではなく。

この前親友と話しててとても有意義な結論に至ったので、忘れずに書き留めておこうと思ったしだい

 

カメラマンを目指す彼 曰く

その親友は職業としてのカメラマンを目指していて、プロとして生計を立てられるようになるにはどうすべきか、って話をしてた。そこで「まずはたくさんの人に作品を見てもらうことが大事だよね〜」なんてことを言ってたのだけど、次に「どこで・なにを」という疑問が湧く。それについての議論が面白かった。

 

彼が目指しているプロの写真家というのは、フォトコンで他としのぎを削り合い、個展を開けるような、そんなプロ。

しかし、「人気の写真家」というのはまた違くて、最近だとインスタグラムでいいねを荒稼ぎするみたいなタイプが多いらしい。実際そこからプロにのし上がっている人もいるとか。

 

そこで問題になるのが芸術性の話。商業写真みたいなケースは置いといて、アートとしてのインスタ写真を見てみると、実に表面的な構成をしているとわかる。例えば人物をテーマにするポートレートだったら、8割くらいが「美少女を背景ぼかしまくって撮ったもの」で、別にそれ以上でも以下でもない。ただただ可愛い女の子が可愛く写っているだけである。要は第一印象が全てで、いかにスクローラーたちが指を止めて♡を押すか、ということ。

一方フォトコンで入選されるような作品は、一見すると派手さや目を引くカラーはないんだけど、キャプションとかテーマとかでその奥深さ・ストーリーを語らせるというものらしい。写真一枚に込められた前後の物語性っていうのが評価ポイントみたいで、後者のタイプは当然インスタグラムやSNSでは評価されないんだと。

つまり写真を見る機会が1番多いのはインスタであり、ユーザーに知ってもらいたいと思う写真家たちはみな「とりあえず目を引くインパクト」を求めて投稿する。インスタグラマーたちの写真に添えられた謎のポエム、あの一文からは大抵何も物語性やリアリティを感じ取れないことからも第一印象至上主義は伺えよう〜

 

まず写真を例に挙げてみた。

そういった刹那的なサブカルチャーの消費のされ方が本当に最近多いんだけど、ちょっと良くないなー、と思った。どのジャンルでも裾野が広がってて、何でも簡単に手に入るのは素晴らしい。でもあまりにも消費!消費!と勢いづいてしまうと、じっくりと作り上げたものは手に取られることすらなくなってしまうのでは。そんな話です。

たとえば音楽

どの媒体で聞いてますか?いまCD買う人ってほんとに少ないらしいね。レコードの再興は謎だけど。僕もTSUTAYA行くことすら無くなって、いまではspotifyapple musicでだいたい済ませてる。サブスクリプションにも入っていないライト層が実はとっても多くて、みんなYouTubeや胡散臭い音楽アプリで事足りるみたい。お金を払って音楽を聴く、というのは時代遅れなんだね。

YouTubeで音楽を公開しようものなら、開始20秒くらいのイントロでほぼ評価が別れると言っても過言ではないとおもう。イントロ数秒で自分に合わないと直感に告げられたら、関連動画をクリックする。中身をじっくり吟味をする以前に、YouTubeはそもそも味見の場である。誰も宝探しはしない。

 

しかしアーティスト的にはYouTubeが1番手軽で人も集めやすいから、どうしても注目を集めるためにインスタっぽい出来の音楽が跋扈してしまう。まあこれは散々議論されたし、みなさんご指摘の通りやね。

その第一印象で攻める!っていうのがテーマの音楽であるなら問題ないのだけど、いつのまにかそれが「良い音楽」とされてやいないか。再生数やいいねの数だけが評価基準となっている気がしてならない。本当にその曲の言葉をじっくり飲み込み、MVの先入観を避けて聞いたことはありますか。大体の人はおそらく無いはず。やっぱり目から入る情報量は凄まじいので、上記のポートレートじゃないけど「女の子が踊るMV」はグンッと再生数が伸びる。でもイヤホンで聴くとスカスカな曲だなー、と思ったり。今回の記事、具体的な名前は出しませんが…

 

じゃあ逆に、ありったけの熱意とセンスを投入して作られた音楽はどうなるか。インパクトも無いし尺も長いしで、次から次へとなだれ込む消費者を引き止めるには激しさが足りないが、そのメロディや言葉には必ず涙せずにはいられないような、そんな曲。

当然 その他大勢に埋もれちゃうんですよね。こういう場合は名前を出しますが、例えばThe Wisely Brothersというバンドは、派手な音楽が売りじゃなくて、言葉の感性とか、静かだけど芯のある洋楽的メロディとか、じっくり聴きこまないと分からない深みが魅力です。しかしインパクトは無いのでYouTubeでの再生数は伸びず、それはおのずと知名度や活躍できる場数にも直結する。

こういうのを時代の潮流という一言で片付けたくありません。が、現状YouTube・サブスクというフィールドではやはり敵いません。サブスクはまたすこし違うけど。そもそもの母数が多すぎて、ひとつの音楽をじっくり聴く暇がない。

コンビニ飯化している

話題を変えて、ツイッターの漫画。たとえば低身長OLのあれとか、あれは主として世間の注目を継続的に集めているだけで、話としては全く進展しないですよね。あのような漫画はツイッターで簡単に読めるから人気なのであって、漫画誌で連載されていたらまた違うことになる。

というか、おそらく漫画家さんの方も宣伝目的で第一印象の強い半分イラスト半分漫画みたいなものを投稿するのだろうね。それでもやはりツイッターでもリツイート数が人気に直結する。最終的に書籍化されてる例もあるけど、ツイッターで見られるものを誰が金払ってまで見るか〜!って思いますよ。

・・・

人物が話しているだけで背景が全く描き込まれていないSNS漫画、キャラが可愛いだけで全く動かない低予算アニメ、などなど、低クオリティだが手っ取り早く消費できるカルチャーが増えすぎた。

コンビニに行って弁当買いますよね。別に涙するほど美味しくないですよね。でも近くて安いからそれで済ませます。要は利便性が価値のはずなんだけど、最近のサブカル界だとそのコンビニ弁当の「味」が評価されてしまっている感じ。近くて安い=質が高い  と勘違いされてしまっている。映画のように、ひとつ作り上げるのにそもそも莫大な費用と期間が要るカルチャーはそういう風な消費のされ方はされない。音楽も、漫画も、もう少し良いお店でじっくり味わう機会を増やすべきなんじゃないかしら。さすれば舌が肥えてもっといいモノに出会えるのに。

 

懸念してるのはカルチャーの低迷ではなく、消費者の質。ファストフードばかりで消費者の舌も鼻もマヒしているので、地中に埋まる宝のトリュフを嗅ぎ分けられないんです。もちろん手軽さは一つの価値。それは間違いない。

とはいえこのままだとサブカルチャーの品質が落ちるし、クリエイターたるシェフの腕も落ちていく。

だれもここまで読まないだろうし

がっつり言うけど、深夜アニメやツイッター漫画、気取ったネット音楽は本当に毒ですよ。毒。消費者の味覚の発達を妨げている。

感性が成長途中かつ他の影響の受けやすいティーンが爆発的にインターネットに流れ込んでいて、そのターゲットに合わせたサブカルチャーが発達しているだけだと思うんだけど、つまり本当に「そういう時代」ということなんだろうね。

・・・

「良いサブカルチャー」を享受すると感性が豊かになります。良い教育を受けられなかった人々が「勉強なんて無駄〜」と思ってしまうのと同じで、本当にいいモノを知らない人は"なんか映えてる"程度の質で満足してしまう。われわれは感性を磨いて、どんどんいいモノに触れるべきなのです。

なるべく具体例を出さないようにしたけど、何が美味しくて何が不味いか、そういうのを判別できる鑑識眼を鍛えましょうね、という意図でした。その判別すら行われていないことを憂いています。僕の好き嫌いなんてどうでもよくて。

 

追加しました。

相変わらず脳が息切れしてます。