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吉澤嘉代子『女優姉妹』 のペルソナと劇場性

4thアルバム『女優姉妹』発売日!

女優

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女優姉妹 (初回限定盤)

女優姉妹 (初回限定盤)

 

 



悔しいです。

サイン会というものに初めて参加したのですが、緊張に飲み込まれ、「ありがとうございます」としか言えなかった。前に並んでた方たちはみんな歓談してるのが見えたな。僕は何も言えず、吉澤嘉代子さまもとなりのスタッフも「これだけええんか?何も言わんでええんか?」みたいな眼差しを向けてくれたが、要塞陥落せず。好きな人に想いを伝えられないこの惨状、情けない。

とてもモヤモヤするのでほんの少しだけ懺悔しつつ、レビュー書きます。

 

ちなみにこんなことをこの前書きました。

 

すこしだけ懺悔させて

で、そもそも何を言いたかったかは個人的な話になってしまうのでアレなのだけど、要は言葉を生業とする吉澤嘉代子さまに対しての憧れ。

 

「憧れ」というくらいなので、つまり私もそういう職に就きたいと思っているわけで。言葉に関する、創作寄りの仕事。長い間ずっとなりたくて、、、吉澤嘉代子さんの感性とそこから紡がれる言葉が、何年か先の自分が待っている場所まで照らしてくれている気がするんです、、、いつもありがとうございます、、、日々を生き抜く活力であり、辛いことから逃げこむ隠れ家でもあります、、、

 

でも何も言えなかった。憧れの ア も言えなかった。ああ…。

今後直接話せる機会はまたやってくるのだろうか。秘めたる想いが暖まりすぎて火傷してしまう。自分の将来への道程で街灯となってくれている吉澤嘉代子さまの音楽。目的地に到着し、その役割を終えてしまう前になんとか伝えたいところ。♪どうやって言葉にしたらいいのか、わかんないよ〜   一日中考えても〜

 

過ぎたことはしょうがない。アルバムレビューに移ります。

主人公とペルソナ

今回のアルバム、「女性の性(せい)と性(さが)」がテーマらしい。今までのようなファンタジックな世界観とは違うんだろうな、と思いつつ購入。さて総評です。というか分析?

 

見出しについてですが、ここでのペルソナは原義「人格」という意味です。人は誰しも、生活のどの場面でも仮面を付け、適宜必要な役を演じている…という哲学と社会学の混ざったような考え方。今回のアルバムではその仮面が10通りある。多種多様の仮面を吉澤嘉代子は嵌め、それぞれの姿を音楽に投影している。

そして、どの曲にも共通する主人公の存在。曲の核となるのがどれも「ひとりの女性」だった。すべての曲にそれぞれの主役。聞き手は自分の持つ仮面を嵌め、その音楽の主人公へと変わるのだ。そうして『女優姉妹』という劇場での演目の主役となる。今作はこういった仕組みで上記のテーマが「舞台性」を通してわかりやすく貫かれている。となると女性のリスナーは参加型的に楽しめたのでは。「鏡」に関する表現が多いのも気になりますね。仮面を付けてそれぞれのペルソナを演じ分けている自分がどんな姿なのか、そして主人公としてそれを投影した音楽という鏡から何が映し返るのか。

今回のアルバムは女性の“性(せい)と性(さが)”がテーマで、これまでは内省的なものを描いていたけれど、今回は他者としての女性を描いているんです。つまり自分とは違う要素が入ってきているんですよ、今。これからは対人関係……恋人や家族の関係を描いた作品を書きたいと思っています。

とのこと。彼女が思い描くこの外交的テーマと、彼女の音楽のクセとも言える「主人公性」を鑑みると、社会の中での役割を使い分けるペルソナという表現がぴったりじゃ。

 

しかしとて、テーマが女性の性(せい)と性(さが)というだけあって、男性の僕には分からないことが多かった。派手な曲がないから一層気持ちが高ぶることはなくって、そのため僕は観客としてこのアルバムを聞いた。いつもは吉澤嘉代子の空想する世界の主人公になった気分で聞ける曲が多いのだけど、今回は舞台の上のショーを見ている感じだった。しかし最後の最後にどんでん返しというか、何もかもすべて吉澤嘉代子の世界の中のことだったと気付かされる。

10曲まとめて吉澤嘉代子の世界

「最終回」が『女優姉妹』を象徴する曲だという話。それまでの9曲を通して主人公になれる仮面を持たなかった僕は、どうも他人事というか、どの曲も第三者として観劇していた気分だった。だからこそ最後の曲「最終回」に愕然とした。してやられた。

歌詞を見てもらえればわかる通り、今までどの音楽も主役を映していたのに対し、この曲は観客席にも光が当たっている。9つの演劇のあと、終演を飾る曲。「女性が主人公として輝くアルバム」と思っていた僕は、自分の座っている観客席が照らされたことにハッとした。「最終回」のラストフレーズ「いつか傷も癒えて 誰かに話したとき 笑いの一つでも取れたなら お釣がくるわ」という箇所に、それまで9曲を披露したこのアルバムは、観客席にまで光を当ててようやく完成なのだ…というメッセージを感じる。

吉澤嘉代子は最初から「ひとつの劇場」を考えてこのアルバムを作ったんだな、と。それぞれの劇の主役は女優かもしれないが、それを見るのに性別は関係ない。舞台・観客席合わせて『女優姉妹』の世界そのもの。

「最終回」という曲のおかげで、彼女の作り上げたアルバム全体の世界の中に結局自分も入り込んでいるんだと気付かされた。その演出力の高さにため息が出るし、10曲36分をひとつの作品として、かつそれぞれを粒立たせる彼女の才能には本当にうっとりした。

 

アルバムのレビューはこんな感じです。女性がテーマということもあり、自分の生活圏内では起きえないエピソードが盛り盛りだった。しかもその一つ一つが、吉澤嘉代子の感性とワードセンスによって、圧倒的なリアリティを携えている。それはつまり、僕の知らないこと・共有できたことがないこと、いわば自分の中にポッカリ空いた生活の穴を満たす音楽。自分の空っぽの感性の器がどんどん吉澤嘉代子で満ちていって、「残ってる」あたりで溢れてしまった。

そして舞台のクライマックスを迎えた後の、役者勢揃い大団円「最終回」。エンドロールまでキッチリ観客を釘付けにする作品。終盤で思わず泣いてしまったけども、それは感動のせいではなく、自分の器からこぼれた吉澤嘉代子の感性。もっと大人になってからまた聞きたい。

 

この『女優姉妹』は、ひとつのアルバム=作品として大好きです。個人的な全体の感想を一言でまとめると、「ステージで輝く青春群像劇」です。ひゅー!

 

余談ですが、「鏡」について、

鏡はアルバム全体のモチーフにもなっていて、いろんな曲で鏡というフレーズを多用しているんですけど、女性が対峙するものの象徴ですね、鏡は。女性をテーマにしようと思ったとき、選曲の軸は「誰かに委ねるのではなく、自分と対峙する」だと思ったんです。1曲を除いてなんですけど、そういうふうにしたいなと思って、それで鏡がよく出てきます。

と上記のナタリーで述べている。全く同じことを感じ取れた自分の感性に拍手。言葉にするのには難しかったけど。

ーーー

聴き終えて思うけど、ここまで巨大な才能があって、しかも自分が目指そうとしている場所まで轍を作ってくれている人に一言も伝えられなかったのが悔しくて悔しくて。

 

今度話せる機会があったら絶対言うぞ。

そして『女優姉妹』、それまでの3つのアルバムとは少し違う楽しみ方をした。主役ではなく観客として、女性ではなく男性として。そしてすべての曲をひとつのアルバムとしてプロデュースする吉澤嘉代子の才能と言葉力。

吉澤嘉代子さまの音楽を好きになれる感性を持っててよかった。