ハイボール・ハイライツ

ハイボールを飲みながら、気になるコンテンツのハイライトを。

音楽と週報 vol.40 2023/12/23〜12/29

1 松任谷由実 49 scrobbles
2 毛皮のマリーズ 15
3 Miyuki Nakajima 13
4 tomoo 9
5 キリンジ 7
6 ザ・おめでたズ 5
7 フーバーオーバー 5
8 みらん 5
9 Polta 4
10 easycome 3

ひたすらユーミンを聞いていた週。

12/23(土)

午前の回で「ファースト・カウ」を鑑賞。ズーズーいびきをかいていた人が近くにいて鬱陶しかったが、たしかに眠ってしまう空気感なのも否めない。ケリー・ライカートの余白がいつもより多めに感じられて、本作ではそれが良くない方向に働いた気がする。どんな作品にも自分で解釈を見いだせる人向けの、かなりハイコンテクストな作風だった。

お昼は渋谷から有楽町へ移動し、ドーナツを食べながら放浪記を読み進めた。

続けて「ショーイング・アップ」を鑑賞。こちらはライカート監督の最新作で、かなり現代的だったのが印象的だ。余白の多さは相変わらずだけれど、中心に映っているミシェル・ウィリアムズの淡い色がじわっと滲んでいるような、行間の彩りもすこしいつもより鮮やかだった気がする。これはかなり好みの作品だった。

劇場で職場の先輩とばったり遭遇した。終映後にすこしだけ立ち話をした。見えていないだけでこれまで何人もの知り合いが劇場にいたんだろうな。見られていることを多少は意識した方がいいのかもしれない。

帰宅して自炊し、ずっと楽しみにしていた「Saltburn」を配信で鑑賞。バリー・コーガン様の深淵に飲み込まれました。「プロミシング・ヤング・ウーマン」のような説教臭さがなく、エンタメに特化したライトな物語と画作りに、バリー・コーガンが重厚な見応えを演出していた。

翌日会う予定だった元同僚に「トットちゃん」を見に行こうと誘われたが、その作品自体にあまり興味がなかったり、クリスマスイブにシネコンでそんな話題作を見る気も起きず、即答で断ってしまった。しかも明らかに興味がない返事をしてしまったので、後から謝った。その興味のなさも感じ取ったよ、と言われたじたじ。

12/24(日)

大掃除をした。床も拭いた。もう汚くて悲しくなるけど、また掃除すれば綺麗になる。でもキッチンの換気扇はこの部屋に住んでから数えるくらいしか掃除したことがない。汚くてもそのよごれが見えないし、そもそも汚いことで何か不都合があるのかもよくわからず、ずっと放置している。綺麗好きなのかガサツなのかよくわからない。

目に見える範囲で掃除を仕切ったので終わりにし、3月公開の新作映画を試写。これはかなり面白い。有名監督の意欲作ということもあり、期待している。

夜は前の部署の同僚二人と飲みに行った。自分が合流するとそこには前の部署でお世話になったディレクターがいた。基本的にそのポジションにいた人たちのことを好きになれなかったし、異動や転職を決意した間接的な理由にもなるのだけど、この人は例外的に好きだった。相変わらず知性があふれていて、素敵だった。一緒に仕事していたころはよく現場から世田谷線で一緒に帰ったことを思い出した。あの頃は月平均80時間ギリギリの残業に毎月追われていて、この人はエンタメものづくりの楽しさをひたすら見出すような方だった。ちょっと美化しているだろうし、2度と同じ仕事はしたくないが。

ディレクターと別れ、元同僚ともんじゃを突いた。お酒は一滴も飲まなかった。三人の仕事の話を適当に織り交ぜつつ、本題ともいうべきライフステージの話へ。夫が悪酔いしすぎて警官に暴言を吐き捨てまくり、早朝 自宅に警察官が訪ねてきて署で留置されているという夫を迎えに行った話がめちゃくちゃ面白かった。笑いすぎて涙出たけど、当事者は身内にそんな恥ずかしい一面があったなんて、とその事件のことを誰にも話せなかったらしい。

この二人は自分が秋に恋人ができたタイミングでちょうどその報告をしたので、その後の顛末を話した。24日なんで空いてたんですか?(ニヤニヤ)という感じで聞いてきたので、やっぱり勘付いていたか、と。体調不良だった元恋人をそっとしようと思って自分からの連絡も控えていた、という話をしたところ「本当に大事な人だったら自宅に行くなりなんなりしたんじゃない?」「その程度の関心だったってことじゃない?」と立て続けに分析され、全く自分では意識していなかった解釈にびっくりした。そして、確かにそうだったのかもしれないと過去の自分の気持ちがわからなくなる。当時は全く意識していなかったけど、元恋人に会えない1ヶ月の間めちゃくちゃ映画見てたし、それも彼女にフォローされていたFilmarksで連日投稿していたし、向こうからしても蔑ろにされたという感覚だったのかもしれない。正解かどうかはわからないものの、体の奥の潜在意識をまさぐられて摘出された気がして、少し体が軽くなった気分。

同僚二人の結婚の話、子供を持ちたい話などをたくさんした。二人とも6,7歳年上だけど、自分の姉と同世代だからきょうだい感覚で話してしまう。30代40代になったら男性はどんどんモテるよ、という与太話をまた聞かされた。「それは20代までにちゃんと恋愛できた人がひとやすみを置いた結果じゃないんですか?」と真顔ですごんでみたら、(たしかに、まあ・・)みたいな顔をされて話が途切れてしまった。でもこの話の着地点はいつも「そんなネガティヴな男性はそもそも好かれない」なので、自分の敗北をこの日も認めるなり。誰と戦っているのやら。この論法で全人類を論破できれば、確かに恋愛できない人としての地位が固まるかもしれない。

仲の良い女性と話す恋愛話は不快にならなくていいなあ。自分の中のマチズモという毒素が抜けていくのを感じて心地よいが、抜け切ったらそれはそれで恋愛をする上である程度苦労しそうだよな、という矛盾も感じてはいる。まあ、きょうび男性性を恋愛に求めるような女性は少数派になりつつあると思っているけれども・・

年明けに自分の誕生日があるので、今度はそれを祝ってくれることに。うれしい。そういばこの日M1があったことを後日知った。もう最近のお笑いが全くわからない・・。テレビとお笑い、密接すぎる!

12/25(月)

前日の飲み会はかなり軽いものだったけどこの日は在宅にした。オンラインでMTGをして適当に済ませて退勤。意外と仕事が終わらない。

夜、最寄りの映画館で「ストロベリー・マンション」を鑑賞。特段ここに残すべき感想はないと思う。この特集企画、結局2本しか見られないことに。全部見たかったな。

12/26(火)

出社。職場で大掃除をした。掃除男子だねえ!と言われた。一人暮らしなんだから掃除くらいするだろ。世の中の人は意外と掃除が嫌い?なようで、特に苦痛に思わないことのは自分の長所だな。特に汚れもなく、掃除しがいはあまりなかった。

その後仕事をして、適当に退勤。帰りは放浪記を読みながら中島みゆきを聴いてゆっくり帰った。

12/27(水)

フォーマルな格好と毛皮のマリーズで出勤。クライアントの納会に参加しないといけず、ひたすら億劫だった日。適当に挨拶を済ませ、世間話をするだけなのに相手の顔色をうかがったりして、疲れる。一緒に付いて場を回してくれていた同期が途中で居なくなってしまったので、非常にあたふたしながらも上司と一緒に行動した。顔が広い上司は色々な人を紹介してくれた。彼は酒に酔っていたので、またいつもの通り自分のことをかなりよく紹介してくれる。今後その人と一緒に仕事するようになってメッキが剥がれるようなことしかないと思うんですが。

その上司と元々同僚同士だったグループに混ざり、色々と談笑した。全員40代も後半またはそれ以上のベテランばかりだったけど、みなさん受け入れてくださってよかった。お酒に酔って自分をねじ込んでくれていた上司に感謝。だんだん人も少なくなってきたので会話の流れを断ち切るように立ち上がり、自分もその場を後にして帰宅した。本当は定時よりも前に退勤できた予定だったのに、中々抜け出せず結局いつもと同じ時間。映画を見ようと思ったが、納会のために無理やり巻いたゼンマイがキリキリとずっと動いている気がして、帰ってはやく気を鎮めたかった。

TOMOOを聴きながら帰宅。帰宅後はなぜかみらんのアルバムを聴いていた。久しぶりにマッチングアプリの有料会員になった。これまで費やしたお金は計算していないけど、ちょっとした旅行が行けるかもしれない。この新シーズン、ダメかも。。

12/28(木)

出社。だいたい仕事は収まったので暇だった。デスクで一本映画を試写した。翌日は有給だったので退勤間際に部長へあいさつへ。その心意気が偉すぎる。翌日のパーティや部の忘年会には出ないの?なんで?と言われ、適当に嘘をついた。姉が帰ってくるんで・・と。まあ、ばれてるでしょうけど。あまりこっちを見て話してくれなかった部長のことを心の中で睨みつけた。

退勤して鍋を作って、PERFECT DAYSのパンフを読んで就寝。

12/29(金)

全社的な有給奨励日のはずなのに現場から立て続けにトラブルの報告があって朝からうんざり。同じく有給だった同期からも電話がかかってきて、寝起きだったので内心(どいつもこいつも朝からうるさいな・・)と思ってちょっと雑に受け答えしてしまったかもしれない。お昼から映画を見る予定だったのでちゃっちゃか処理をして新宿へ。

「宝くじの不時着 1等当選くじが飛んでいきました」を鑑賞。ゲラゲラ笑った。今年一番笑った映画かもなあ。印象的なシーンとかは特に覚えてないや。自分がテレビ番組で笑えていた時代のコントを見ていた感覚に近いかもしれない。

終映後はまた別の関連トラブルの連絡が来ており、本当に勘弁して欲しかった。自分が有給だろうがなんだろうが、他に対応できる人がいないからしょうがないし、自分自身には非がないので怒りを鎮める。もっと前から対応できたはずなのに、年明けすぐデッドラインが設定されているそんな年末年始進行のスケジュールおかしいだろ。技術のこと以外はてんでダメな現場チームの人たちに映画館から怨念を飛ばした。社用携帯で海外にメールを飛ばした。自分、対応力あるなあ。

前の仕事に比べたらこんな案件本当になんでもないレベルなのだけど、今の仕事しか知らない同期やチームメイトたちはこの世の終わりかってくらいの反応をする。今の仕事で最も大変だったと言われているエピソードは、感覚的には前の仕事では日常的に起きていた気がする。"大変自慢"は恥です。自分は「2年前の地獄を見てきた者達だ 面構えが違う」です。こないだまでわたし調査兵団だったんですよ、憲兵団のみなさま・・

今度こそトラブルシューティングを済ませ、「サンクスギビング」を鑑賞。「グリーン・インフェルノ」の監督新作ということで興味本位で見に行ったけど、さほど面白くもショッキングでもなかったな。あまりスプラッタ系の映画は劇場で見てこなかったので試しに行ってみたけど、今後も配信で十分だった。あまり見応えなかった。

・・・

夜、会社の同期入社組が集まる忘年会に。みんな全社パーティに参加していたので正装だった。有給をとって映画をみていた自分がズレているんだと早速認識した。

会話の詳細を思い出せるほど実のある会話はなかったはずだ。会社や業界のすごい人の話、女性の同期が結婚したとか、彼女ができた、彼氏ができた、同棲をはじめた、明日はじめてマッチングアプリの女性と会うとか、そういう話だけじゃなかったか?自分に話を振られることはあまりなかったけど、やはり恋愛のことは全員に聞くようなグループのようだった。好きな人たちではないものの不信感も別になかったので、嘘をつかずにこの秋の件を話した。みんなを笑わせるほどのエピソードトークなんてないんだよこっちは。他人と共有する話のために恋愛に臨んでるんじゃないんだわ。

本当に何の会話をしていたのか思い出せない。アメリカに留学したとき、断片から会話の流れ自体は把握できるものの、話している言語が違うから表情や声量から判断しないといけないことが多すぎて疎外感にまみれたのを思い出した。完全に同じ。日本語を話している人たちのはずなのに、まるで外国人に囲まれたときのように萎縮してしまう。自分の等身大の語彙が伝わるわけないので、ユーモアもエスプリも欠いた小学生のような言葉しか口に出せない。そういう言葉は声量を伴わないと面白みが伝わらない。みんな単純な言葉を大声で交わして、ゲラゲラ笑っていた。テーマも性や子育てのことばかりで、これってヒトの原初のコミュニケーションじゃね?と思いながらその様子を眺めていた。

一次会の次は二次会のカラオケへ。興味本位かつ断りきれずついていったのが間違いだった。狭い部屋で相変わらず怒号でコミュニケーションがなされる空間、地獄すぎる。コミュニケーションっていうか、もう完全に石の投げ合いで一方通行なんですよ。大声で笑わせたものが勝ち。原始人時代の宴会かて。一緒に少人数でカラオケにいったこともある同期もいたので、自分がしっかり歌える人だということが知られていたのもまずかったな。気を使ってデンモクを回してくれる人、一緒に歌ってくれようとしれくれる人がいた。歌うことに抵抗感は全くなかったけど、なぜか自分の声をずっとマイクが拾ってくれないという事態にどうでもよくなって歌うことを諦めた。それでもなりふり構わず盛り上がり続ける同期たち、すごいなあ。

大学生のコール文化を引きずっているとある同期が、パチンコ屋の店員のように大声+マイクの拡声で訳のわからないことをずっと替え歌していた。あー、彼本当につまらなかったな。彼はこの同期の飲み会に参加すること自体が珍しかったらしく、常連の中心人物数名が「あいつのノリ、やっぱなんか違うよね・・」と解散後ブツブツ言い合っていたのが面白かった。何が違うんだよ。結構同じに見えたよ。同属嫌悪なのかもしれないけど、一応そういう文化を嫌う文化的な側面を持つ人たちも確かにいたな、と再発見できた。この同期たちは3,4人くらいの少人数だと居心地いいんだけどね。

この時点で深夜も更けており、カラオケの光と絶え間ない大声と眠気で頭痛に苛まれた。途中喫煙スペースで長めの休憩をしていたところ部屋で心配されていたらしく、同期が迎えに来てくれた。楽しくなさそうに見えたかなあ。申し訳ないなあ。でも楽しくないから喫煙所に避難しているしなあ。とぐるぐる思いながら部屋に戻った。その後30分くらいただ耐える時間が続き、瞬時に体力が尽きたのか、瞬く間に解散の流れに。動物的すぎるだろ。

一次会の飲み会もそうだったけど、「おもしろいシーンを動画にとってインスタにアップする」のすべて、0から100までのその思考回路のすべてが全くもって何一つ理解できなくて、いつもつらい思いをする。スマホを持つようになって10年ちょっと、学生のときからずーっと思っていた。なんでみんな録るの?あと、それを見せられて面白い人って、その場にいた人たち以外にいるの??見返したら面白いっていうのは何となくわかるな。はあ、自分が歌っているところにスマホを向けられ、動画を取られ、勝手にアップロードされるんだなあ。別にいいけど。でもわたしは君らのフォロワーのために歌って存在しているんじゃないんだが。

やっぱよくないわ。普段知り合いはインスタグラム上でその好き嫌いに関わらず全員ミュートしているが、これを書いている現在、ミュートした人たちのストーリーが追いやられている右のほうまで久しぶりにスクロールしてみた。おおきな石を裏返したときに虫が蠢いているように、きのうの飲み会の様子が色々な参加者の視点から動画として投稿されていた。はあ、気持ち悪い。写真には全く嫌悪感はないから、その差は何なんでしょうね。

・・・

解散後ラーメンを食べにいった組と別れてタクシーで帰宅。自分が最後に降りたから同乗者に請求しないといけないんだけど、誰にも連絡したくなさすぎてこのまま手切れ金にしようかとも思っている。どうしよう〜。

事の発端は唯一年に1,2度くらい会っている同期の中心人物から誘いがあったことで、それ自体は恐ろしくも嬉しくもあったし、恋人が蒸発して破れかぶれだったからたまには、の気持ちもあった。下半期に観た映画では続けざまに世間とのズレを「異星人」「地球に留学している」という表現で表していたのが強く印象に残っているのだけど、その心持ちで参加したフィールドワークのような忘年会だった。違う文化ステージに生きている人との言語・思考のすれ違いをストレスに感じたのはもちろんのことで、それ以上に二次会のカラオケで感じた身体的・体力的な差が本当にしんどかった。自分は次の日が休みだろうが12時には就寝しているので、夜中まで全力でカラオケを楽しむ、という行為自体が体に障るんだよな。一般的な20代後半のみなさん、どうなんですか。

2度と行かね〜と観念したけど、誘ってくれた同期はカラオケの喫煙所などで寄り添いを見せてくれた。でも彼も部屋に戻ると楽しそうな表情で歌っていたので、やはりそちら側の人間なんですよ。こっちに合わせていただく必要はどこにもない。

そういえばその同期が、こういうカラオケのときのために最新の流行曲も聴いている、自分はもう拗らせから脱した、と言っていたのを覚えている。みんなが歌っている曲が全然わからなかったけど、それは自分がインディーズばかり好んで拗らせているからか。すてきな歌を真似て歌うこと、詞を読みながらなぞって聞くこと、それも拗らせか。それを拗らせと判断する人たちが、音楽や映画や文化のことを語って、カルチャーを創出するこの仕事に就いているのか。そんなのが文化なわけあるかぼけ!ぼけかす!

・・・

帰宅して余っていたカップ焼きそばを食べて4時ごろ就寝。土曜は「NOCEBO ノセボ」で新作映画納めをしようと思ったけど、昼過ぎまでベッドから出られず、夕方現在これを書いている。